黒竜江省は今日もコロナとの戦い。隔離。雪の哈爾浜(ハルビン)

昨日の夜はなんかゴロゴロと外が騒がしいなと思って窓の外をみると、一面雪景色でした。

たぶん、車のタイヤか除雪の音だと思います。

 

私が隔離に入って以来、中国東北地方でも市街地の積雪は初です。

 

ゴロゴロとタイヤの音がうるさく、夜は寝苦しかったです。

朝8時に目を覚まして外を見ると、白い世界が広がっていました。

 

寒いです。

室内なのに冷気が窓から漏れてきます。

暖房を強くしてほしいです。

 

※出典

 

 

黒竜江省はコロナとの闘いの最中

日本ではコロナがとても減ったという情報を目にします。

世界的にも、どんどん規制が緩くなっているようですね。

 

しかし、ここ中国では減ったではダメです。

ゼロに抑えないといけません。

政府に全くブレがありません。

国民市民の間でも、しっかりと政府に従う意思を感じます。

 

私は5週間+2週間=計7週間隔離をされている最中ですが、最後の2週間は寮に濃厚接触者が出たからです。

濃厚接触者と言っても、日本とは違います。

情報によると感染者の濃厚接触者と同じ場所にいた人が、このマンションの区画にいるというような程度です。

中国コロナ対応。入国隔離から濃厚接触者マンション封鎖隔離へ。

携帯アプリのAIによる自動追跡で、同じ空間にいただけで即閉鎖です。

前触れもありません。

準備もできません。

ぞろぞろと公安がやってきて、何時であろと敷地内にいた人全員を隔離です。

ガシャガシャと封鎖して、それで終わりです。

 

保証らしい保証もありません。

会社員の人はまだいいかもしれませんが、自営業の人などは即収入が途絶えます。

 

当然とまどいの声が上がりますが、すぐに切り替えてなんとか生きています。

中国市民はコロナの戦火の中にいると感じます。

 

黒竜江省のコロナ感染状況

※出典

今日の中国のコロナ感染者は全国で65人。

黒竜江省は最近感染者が出ている北の黒河市での感染者だけで、ハルビンは0のようです。

外国から入った感染者を除けば、やはり遼寧省など東北地方が少し目立ちます。

やはり大連も、外国からの流入がきっかけでたびたび流行していますね。

 

黒竜江省のコロナ対策

現在日本から直接黒竜江省に来れるフライト便はありません。

ですから、中国人でも黒竜江省に来る人は、他の省を経由しなければなりません。

ハルビンはもともと低温乾燥でコロナが広がり易く、雪まつりでの流行もありました。

当局から完全にマークされているので、厳しい措置を取らざるを得ないのでしょう。

 

私は遼寧省の瀋陽から入りましたが、対応は明らかに黒竜江省より厳しかったです。

 

今日は買い出し許可が出る

今日は団地内にある店なら、買い物ができるそうです。

ただし、外に出られるのは一部屋で一人までだそうです。

思ったように買い物できるかは分かりませんが、外に出るだけ出てみようと思います。

 

以上簡単に、黒竜江省ハルビンでのコロナの日常と隔離の報告でした。

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中国の内巻化。80年代生まれは日本の1950年代生まれと同じ。30年前。競争。

中国では寝そべり主義という言葉が流行になるほど、社会的な閉塞感が急速に広がっている。
(最も日本は30年以上閉塞の中にいるのだが、中国にしてはということだ)

もっとも中国の場合は、10年後も、30年後も一人当たりのGDPは日本を超えることはないとされており、それなりの成長が続くことが予想されている。

日本のように税金を含めるとマイナス成長、つまり実質賃金が下がるという現象は起きないと言われている。(日本のように給料が下がるというのは、本当に特異な現象だ)

 

中国社会の内巻化と競争

最近中国では、現代社会を表す言葉として

内巻化”と呼ばれる言葉が流行している。

 

この言葉は適当な日本語訳が存在しないことで有名である。

社会が一定水準以上に成熟し、誰もが過激な競争をしなければ普通の生活をすることが難しい社会。
‥‥無理に訳すとそんな感じになる。

 

中国人とマンション、住宅。中国の不動産価格高騰による影響。

こちらの記事でも現代中国を生きる若者の苦労に触れたが、問題は住居問題だけではない。

受験や就職活動でも、日本とは比較できないような競争が待っている。

 

 

”わが子を国家重点大学へ”

という親や社会の共通理念が日本以上に強く、大部分の子供がその競争に巻き込まれていくのだ。

しかし、現場感覚で見ていると、国家重点大学に入るというのは並大抵のことではない。

日本でいう東大京大阪大などに入るようなものである。

当然多くの学生は挫折してしまうが、次は国家重点大学の大学院を目指して、また激しい競争をすることになる。

 

また、当然そこから堕落したものは、一部が寝そべり主義というカテゴリーの社会問題へと移行していく。

エリートから挫折して、大学院に合格せずに勉強を続けている学生が多い。

彼らがニート化していくという問題も、今後増えていくだろう。

 

中国の80年代生まれは日本の50年代生まれ

中国の現代の若者に対して、1980年代生まれの中国人は本当に幸運だ。

彼らが学生だった時代は、だいたい2000年代前半から半ばぐらいである。

 

社会がまだ成熟していなかったため、新しい仕事や施設が次々と成立した。

多くの大学が設立され、新しい仕事のポストも次々と誕生した。

その恩恵を最も受けるのが、当時の新卒や若者達だった。

 

彼らは今より比較的苦労なく、国立大学や公務員試験、大企業に通った。

 

日本の50年代生まれ

中国の2000代の初頭の姿は、日本の1970年代と重なる。

1970年に社会に出た日本人(50年代生まれ)も、相当に恵まれていたはずだ。

特に70年代半ばまでは高度経済成長期の真っただ中である。

 

中国なら2000年代半ばに大学を卒業した人は、現在大学の教授や助教授になっている人が非常に多い。

その時代でも大学に新しい学部などの設立が続いていたためだ。

現代とくらべて競争は無いようなもので、大学生の数も10分の1である。

 

2000年代の後半ではもう時代の恩恵を受けた人は少ない。

これが時代を下るごとに大卒者が一般的となり、激しい競争となっていく。

 

中国社会は日本の30年前

中国社会を見るには日本の30年前をみることが有効かもしれない。

しかし、冒頭述べたように中国の成長はまだまだ続いていく。

それは、30年前の日本と違って一人当たりの経済力がまだ3分の1しかないからである。

従って個人の収入は1.5倍、2倍と順調に増えていくはずだ。

 

しかし、社会の趨勢では差がない。

いわゆるいい仕事や良い大学に入るのは難しくなってしまった。

ちょうどそれは今から30年前日本をみればよく分かる。

 

当時の日本は1990年代、ちょうど就職氷河期の世代である。

中国も少しずつ、社会がうぃ~を許さない時代になっていくだろう。

アジアの2030年、2050年を予測する。中国、インドのGDPと比較。

中国は先進国への道を歩き始めている。困難になった入国、銀行口座、携帯番号。

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中国でVPNが繋がらない。セカイVPN、セカイブラウザの使い方。安定。快適。

中国在住のクニヤメです。

私はセカイVPNを使って、中国でインターネットをしています。

 

 

Googleで調べると、中国のVPN接続で困っている人が多いようです。

 

この記事は

  • 中国でセカイVPNを使っているがうまく接続できない人
  • 中国に行くことが決まったが、VPNについて全く分からない人
  • 中国で他のVPNサービスを使っているが安定しない人

などの方を対象に書いています。

 

セカイVPNのサービスは無料期間があるので、気軽に利用できます。

 

ですが、とりあえず契約したものの使い方が分からない方もいると思います。

サービス内容が多く少しややこしいので、中国生活に必要なものだけ紹介します。

 

セカイVPNについて

こちらのサイトです。

 

セカイVPNで必要な契約

メールやサーバーなどのいろいろなサービスがあるようですが、中国のネット接続に必要なのは

セカイVPNの契約だけです。

 

セカイVPNで必要な月額料金

月額料金は、1100円と安くはありません。

支払いはクレジットカード払いが便利だと思います。

 

1カ月~2か月の無料体験機関があるので、迷ったら契約してみるといいと思います。

この会社は大手なので、解約も簡単にできます。

私は2年前に中国赴任していた時から、一貫してセカイVPNを使っています。

 

セカイVPNの使い方。セカイVPNアプリとセカイブラウザ

とりあえず契約したものの、いまいち使い方が分からない。

私もそんな状態で、間違った使い方をしてインターネットに繋がらない経験をしました。

 

ここでは、中国でのインターネット接続に必要なものだけを説明します。

中国でのネット接続が目的なら、おそらくこれで十分なはずです。

トップページから、会員サポートをクリック。

 

マイメニューから、マイメニューを開く をクリック。

 

サービス一覧 から 各コントロールパネルへ をクリック。

 

接続アカウント をクリック。

 

設定マニュアル をクリック。

 

下にスクロールします。

 

↓途中このように書いてありますが、中国の場合は私が説明する方法だけで問題ありません。

・セカイVPNはIKEv2・L2TP・PPTP・OpenVPN・OpenConnect・セカイブラウザの通信方式に対応しております。これらの通信方式での接続を順番にお試しください。
・特定のサイトやサービスにアクセスできない国ではOpenConnect、セカイブラウザの利用を推奨します。

 

セカイVPNアプリセカイブラウザ

セカイVPNアプリ と セカイブラウザ の2つのアプリが必要です。

 

Windows以外のOSは更に下にスクロールします。

セカイブラウザのアプリを入れていない人がいると思います。

 

セカイブラウザがないと、中国では快適に接続できない場所があります。

この2つをそれぞれのリンクからインストールしてください。

他のアプリは無視してください。

 

セカイVPNとセカイブラウザを起動

アプリをダウンロードしたら、トップ画面からアイコンをダブルクリックで起動します。

起動したら、日本を選択して電源マークをクリックします。

 

 

電源マークが緑に変われば、セカイVPNの接続完了です。

 

 

もし快適に接続できなければ、セカイブラウザを起動

2年前までは、これだけで快適に接続できていたのですが、今はセカイブラウザがないと無理な場所もあるようです。

 

私が現在住んでいるハルビンでも、セカイブラウザが必要でした。

瀋陽はセカイVPNだけでも、接続は可能でした。

 

トップ画面から、セカイブラウザをダブルクリックで起動。

IDとパスワードを入力し、専用のブラウザで利用するにチェックをしてログイン。

 

 

このようなブラウザが出れば成功です。

こちらの専用ブラウザからネットを利用することになります。

これで、おそらく日本並みの接続速度が出て、動画視聴も苦労しないはずです。

 

 

セカイブラウザとセカイVPNを切りかえたい時は、

トップ画面下から右クリックで終了できます。

 

セカイVPNの利点

セカイVPNはVPN接続ができていない状態でも、海外から契約が可能です。

しかし、中国からだとGmailが利用できないなど、少し日本からの協力が必要ですので、入国前に契約して接続できておけば理想的です。

 

1か月以上の無料期間があるので、気軽に試してみてもいいと思います。

大手ならではの安心感が最大の魅力かと思います。

 

以上、セカイVPN使い方についてでした。

中国ドキュメンタリー番組選。感動動画。中国瀋陽隔離10日目。2021年10月。

 

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満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

※これは2018年1月、初めて中国(吉林省)に赴任する前に書いた記事ですが、少しの訂正を加えて再投稿させていただきます。

 

若き日の祖父の写真である。

私を知る人なら私と瓜二つの顔に驚きを隠せないはずだ、多分色をつけて私の写真に混ぜていても、本人でも全く気付かないレベルである。

高校生の時に80代で亡くなった時は、そんなに似ているという感じなかったので、これは驚きであった。

今回、元満州に行く可能性が高いということで、実家で同居していた祖父の、太平洋戦争中の記録をまとめて資料を開いてみた。

大日本帝国の一兵士の記録であるが、ブログでアップすることで、誰かのためにはなるのではと思い、祖父の人生を振り返るついでに引用しておく。

 

一歩兵による太平洋戦争の記録~満州国境守備隊~

~動乱の歴史『我が人生』歴史研究会より引用~

国矢眼 義(仮名)

階級:陸軍伍長[歩兵]

表彰:勲八等旭日章・支那事変従軍記章

年齢:大正五年一二月二四日生

経歴:以下

 

大連上陸から新京(現在:長春市)へ

 

昭和13年1月10日。現役兵として小倉歩兵第十四?隊に入隊。間もなく守備隊要員として1月26日門司港を出港、大連上陸後に列車に乗り込み新京郊外寛城子に到着、満州派遣軍独立守備隊に編入となる。

軍人勅諭を精神基盤とした熾烈極まりなき新兵教育が始まる。各個戦闘、銃剣、白兵、射撃、行軍等の猛訓練が行われる。連日連夜にわたり訓練が行われ、上官の靴磨きや宿舎の掃除、寒いというよりも痛さを感じる極寒の中でする洗濯、早朝より始まる銃剣術の猛稽古と一服の暇もない三カ月が過ぎ去る。

一期の検閲を終え奉天に移動、二カ月後、国境守備隊に編入となり虎林へと派遣され、一カ月交替で国境線の警備につく。ウスリー河を挟んで対岸はソ連領となっており、対岸のイマンにはソ連軍の軍隊が駐留、夏の間はソ連軍の小艦艇が往来するのがよく見えていた。短い夏は瞬く間に過ぎ去り、冬将軍が猛威をふるう頃になるとウスリー河は厚い氷が張りつめ、何処が上流か下流かの見分けもつかない程になる。大平原を緩やかに流れる川の中には幾つもの中州ができていた。一触即発の危機はらむソ連軍との間に点在するこの中州に、同郷の出身で同時に小倉?隊より出た仲の良い四名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を歩き中州の偵察に出かけたが、河の中央付近で突如としてソ連軍の機関銃を浴び、四名がそろって即死するという大事件が起きた。

↑字が分からないものは〇とした、表現が劇画調になっているところがあり、少しの訂正を加えた。

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03(2019年8月)

 

奉天(現在:瀋陽市)から虎林へ

奉天というよく出てくる地名は、旧満州の奉天省奉天市というところで、現在の遼寧省の省都で、東北地方最大の都市である瀋陽にあたるらしい。

虎林(フーリン)というのは現在でも黒竜江省にある、ハンカ湖という湖とロシア国境の近くに見つけられる。ウスリー河と言うのは、国境を流れるアムール川の支流の一つであるようだ。

二世代前の祖父が、なんと半世紀以上も前に満州に渡り、赴任する確率の高い四平(スーピン)の近くにいたというのが、時代とはいえ感慨深い。

 

最低気温-40℃のウスリー河

 

仲の良い四名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を歩き中州の偵察に出かけたが、ウスリー河の中央付近で突如としてソ連軍の機関銃を浴び、四名がそろって即死する。

この場面は小さいころからよく話を聞かされていたのだが、私の記憶の中では川に遊びに行って打たれたと勘違いをしていた。

よく考えたら遊びじゃなくて戦争なんだから、遊びに行くはずがないし、祖父も遺体回収の役だけは御免だったと話していたのを覚えている。

国境という僻地であり、まだ温暖化とは無縁の時代である。

外で立ち小便をすると、地面から尿がすぐさま凍り付いてアーチを描いたという・・・

現代ではそうでないことを祈るばかりだが、最低気温-40℃にも迫ろうかという極寒であるから、覚悟しておいた方が良さそうだ。

 

祖父がもらった勲章の一つ、支那事変従軍記章

 

遺体収容の決死隊、遺骨を持って虎林を発つ。

~動乱の歴史『我が人生』歴史研究会より引用~

 

すぐに遺体収容のための決死隊が募られ、数少ない同郷出身の戦友の無残な戦士に、決死隊に志願するも相対峙するのみで、全くの交流もないソ連軍がいかなる態度に出るかは予想もできず、志願者も少なく、1人の遺体に四名の決死隊がやっと編成された。万一に備え決死隊は一人づつ出動、氷上の遺体にロープを結び収容に成功するも、冴えわたる月の下で見る戦友たちの変わり果てた姿に涙する。

身を切る極寒の中で、投弾筒手として、演習・訓練に明け暮れ、食事の暇もない夜間演習・特に冬季訓練の厳しさは忘れがたい。銃剣術も猛特訓の末、中隊二番の腕前になっていた。二年兵の時ノモンハン事件が勃発、直後に出撃準備を整えて待つも、まもなく停戦協定が結ばれ出撃は中止となる。

三年兵で未だ上等兵の時であったが、築上郡の戦友が戦死したため、中隊長より指名され「遺骨を持ち、内地帰還せよ」の命令。数年もの間、満州で過ごす幾多古参兵の多い中で特に指名していただいた中隊長に感謝し、月給が十円二十銭のころに、旅費としては百三十円をいただき、戦友の遺骨を胸に虎林を発つ。

 

 

牡丹江、ハルピンで一泊。ノモンハンの遺体。

 

途中、牡丹江ハルピンと各地で一泊したが、ノモンハンで戦死した遺体が乗せられ奉天を経由し大連に着く頃には、列車は遺体で埋め尽くされていた。大連より、吉林丸という豪華客船に乗り門司港に上陸。担当官に遺骨を渡し、久しぶりの故郷の土を踏む。

突然の帰郷に歓喜する母上や弟妹達と積る話に夜の更けるのを忘れる。三日後、名残惜しむ家族を後に満州の原隊へと復帰。間もなく打ち続く国境の紛争に備え、国境守備隊に機関銃中隊と歩兵砲小隊が新設され、歩兵部隊に七名の余剰人員ができた。七名中の一人として15年8月15日、内地帰還し除隊となる。(満州に駐留中の部隊は、太平洋戦争が勃発するや南方へと転戦、その将兵のほとんどが玉砕している)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02(2019年8月)

ハルビン(哈爾浜)観光。聖ソフィア大聖堂と中央大街へ。

 

祖父の幸運、吉林丸で満州から帰国。

 

月給が十円二十銭のころに、旅費としては百三十円をいただき、戦友の遺骨を胸に虎林を発つ

↑のことがなければ、祖父は日本に帰れずに太平洋戦争を迎え、南方に送られて皆と同じように玉砕している可能性が高い。

そう考えると、祖父と同郷の人が戦死してお骨を持って帰るという幸運がなければ、今の私はないだろう。

満州から門司港までのった豪華船が、吉林丸という名前なのも、なにか縁を感じる今日である。

しかし、月給が10.2円とは・・・・いったいどういう時代なのだ。

100年もせずとも物価というのは巨大になっていくんですね。祖父が実際に取材で語ったことだけに、その時の流れを感じられるというのは、貴重なことである。

 

帰国後の生活、鹿児島で教育係。

戦争記の続きを引用しようと思ってたんですが、面倒で楽しくないので辞めます。

まぁ前回までで外地は終わりで、祖父はそれから内地である鹿児島で教育係として働いたり、伍長に出世したり、太平洋戦争開始とその後の苦労が描かれるだけで、自分でも読んでて楽しくないです。

っていうか全部読んでません・・・

 

祖父のこと

話を戻して、祖父のことですが・・・・、私の年代の祖父としては、けっこう年だったので、太平洋戦争時にはわりと出世していたお陰で、激戦地には送られなかったのだと思います。

満州にいたのも太平洋戦争の前なので、ロシアとの国境守備と言っても、本格的な戦闘があったわけではないのでしょう。

私は子供心にロシアと戦ったという印象を持っていたのですが、祖父は本格的な戦闘はほとんど経験しないままに、戦争が終わった運のいい人だったのだと思います。

 

祖父は私を見て、なにを思うのだろうか

当時は日本の領土だった満州に、教師として孫が赴任するというのは、どういう心境なのだろうか。

全く想像できないけど、祖父が乗った満州からハルビンまでの鉄道に身内がのるとしたら、それは満州国であると思っていたでしょうね。

まさか日本が戦争に負けて、敵国の中国の領土に戻って、その敵国に日本語を教えに行くなんて、若き祖父にタイムマシーンに乗って説明しに行っても、信じてもらえないでしょう。

自分に孫なんてできないだろうけど、例えると自分の孫が将来、北朝鮮で日本語教師になっているような感じかな~

・・・・・とうていそんなことは信じられません。

時代は変わるものですね・・・・・。

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

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中国コロナ対応。入国隔離から濃厚接触者マンション封鎖隔離へ。

ひたすら我慢の時期が続いています。

 

家を出たのが9月20日、中国への渡航が9月23日。

そこからどれだけのPCR検査を受けてきたでしょうか。

まだまだ大丈夫だとは思いたいですが、かなり精神的にまいっているのも事実です。

とにかく外を歩きたいです。

 

コロナ入国隔離から濃厚接触者隔離へ

このさきどこまで隔離が続くのか、まだ見通しがたちません。

 

私がなぜここまで隔離されているかの原因は、

  1. 私が入国する以前から黒竜江省で感染者が出ていた。
  2. 規定の5週間隔離を終えてから、寮の中で濃厚接触者が出た。

という主に二点です。

1についは、日本からの入国では、デフォルトで5週間隔離されるかもしれない噂はありました。

以下の記事に書いています。

 

2については、全く想定外のことで、今後の対応が分かりません。

とりあえず、寮となっている部屋があるマンションが、二週間封鎖されました。

本当に突然のことでした。

準備もなにもありません。

 

連日続くPCR検査

今日もPCR検査がありました。

マンションの閉鎖が決まって三日連続です。

ここまでやるのかという感じです。

仕方がありませんから、従うしかありません。

 

私は現在省政府に、居留許可を貼ってもらうためパスポートを提出しています。

そして、その原因でSIMカードが作れません。(居留許可があれば作れる)

 

当然、訳の分からない日本人がいるということになります。

長い列に並んで順番が来ても

 

お~い、美女

なんか訳の分からない日本人がいるよ。

 

なんだこいつ、なにも情報がないって!

パスポートもってないのにできるのか?

 

などと叫ぶことから始まって、緊迫感が漂います。

少なからず完全防護スーツのメンバーが変わるため、毎回このような事態になるわけです。

 

ハルビンの屋外はもう寒いです。

脇で待たされるだけでも、けっこうな苦痛です。

中国人と美人と美女。中国に来れば誰でも美女?

 

隔離封鎖マンションの様子

今日はPCR検査のついでに写真がとれました。

店の入り口がそのまま街に通じる。封鎖されている。

 

寮がある区画はマンション集積地になっており、かなりのマンションが建っています。

そのすべてが封鎖されている感じでした。

このようにコンビニなどの店が、住居スペースと大通りを結び通り抜けられるのですが、全て閉鎖され入れないようにしていました。

 

PCR検査の列に並ぶ。

 

もし順番が回ってきても、そこから担当が学校に電話したりなどの面倒な対応が待ちます。

simカードが無いために電波が無く、学校から助けてもらうこともできません。

外国人でもパスポートさえあれば、特に問題はないようでした。

 

白づくめの人達。

 

防護服の人や公安などが周辺を見張っています。

ウロウロできない緊張感があります。

中国人住民でも、突然の隔離封鎖で困惑しています。

 

とにかくこうなってしまったら誰も外に出られない。

PCR検査の時以外は建物ごと閉鎖になります。

 

米を確保

学校関係者に頼んで、米を持ってきてもらう。

直接渡すことができないし、外では指示がもらえないので探すのに苦労しながらなんとか発見できました!

中国語を必死に使います。

 

良かった。

これで2週間生きられます。

 

以上、中国マンション隔離閉鎖のリアルレポートでした。

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中国人とマンション、住宅。中国の不動産価格高騰による影響。

昨日は、中国の大学生や日本在住の中国人大学院生と、zoomで議論するチャンスがあった。

 

日本でニュースをみていると、政治体制はともかく経済的には中国は輝いてみえる。

その勢いは、日本の高度経済成長期がかすんで見えるほどだ。

 

アメリカに追いつけ追い越せで、軍事力も2位、世界の覇権を窺う大国の姿が見える。

しかし、現実の中国の市民生活は年々厳しさが増しているのだそうだ。

アジアの2030年、2050年を予測する。中国、インドのGDPと比較。

 

中国人と不動産価格高騰

話は中国の不動産についての話題になった。

 

中国の一般人が、今一番不満に思っているのが、不動産価格の高騰らしい。

現代の中国人不動産価格高騰の影響で、普通の人が家を買うのが難しくなっているそうだ。

 

特に余裕のない若者にとって深刻な問題で、今後20代で結婚ができなくなる若者が増えるという。

中国人はメンツを非常に大事にするので、家を持たないカップルが結婚には踏み切れないらしい。

 

結果的に、大学生の恋愛は、ほとんどの場合将来のないものになっているそうだ。

ほとんどのカップルは、大学を卒業すれば家が持てず別れてしまう。

 

中国人と不動産価格

彼の出身は安徽省の蕪湖市だという。

そこの地級市なので日本でいえば宇都宮市とか岐阜市とか、そんなイメージだろうか。

そこでも住宅価格が3000万円ぐらいするらしい。

 

それが安徽省の中心である合肥なら4000万円ほどという。

これでは、給料水準が日本の三分の一ほどしかない中国の市民には手が届かない。

 

不動産価格が世界一割高な中国

世界で、不動産価格が最も高いのが中国の深圳。

また、中国の不動産価格水準は物価と比較して世界一高いそうだ。

 

いったい、なぜこんなにマンションが高いのか?

なぜこんなに部屋が高いのか?

私は質問をぶつけてみた。

 

中国の都市は何もないところにまず外側の建物を作り、そこに人や施設を集め、発展させていく。

そのスタイルはどうしても最初にコストがかかるということもあるそうだ。

また、現在では規制されたが富豪による実際に住まない部屋を購入して、投資に利用するということも以前は多かったらしい。

 

また、住宅価格を下げる対応も難しい。

中国のGDP比率で、不動産が占める割合は約40%もあるのだそうだ。

だから、もしこの4000万円の価格を半額にすればGDPの20%が消し飛んでしまう。

GDPが20%も無くなれば、たちまちその都市はマイナス成長となる。

省政府や都市からすれば、そんな政策は決してできない。

 

中国人と住宅ローン

現在の一般市民の現実は、20代で結婚する子供のために両親が頭金をなんとか払って、30年ローンを組んで返済していくことらしい。

頭金の額は約20万元、日本円にして約350万ほど。

それでも日本でいえば1000万円ほどの感覚だろう。

だが、子供のためを思って必死で親が払うそうだ。

 

その後は、本人の長い住宅ローン返済が続いていく。

そして、本人だけではない。

親は子供のために本当に貧しい生活を強いられている人が少なくないという。

年収の数十倍というローンを組むのだ。

その圧力は想像を絶する気がする。

 

彼らの姿が一瞬日本の若者とたぶった。

本当に大変なんです、未来が見えない。

そう言っているような苦悶の表情だった。

 

社会主義国家と家

中国は社会主義国家なので、実はを買うことができない。

正確には国から借りるような形になり、70年間有効であると聞いていた。

 

そのことについても聞いてみた。

「確かにそうですが、70年たってもなにも無くなるわけではないんです。
代わりに新しい部屋が与えられます。しかし、立地などは選べないので多くの社会問題を生んでいます」

とうことだった。

確かに部屋は新しくなるのだが、ずいぶん田舎の方になってしまったりするケースが多く、いろいろ問題が多いらしい。

 

中国人と住宅価格高騰まとめ

 

現在の中国についての不満や問題点を、中国人の若者から聞けたのはたいへん勉強になった。

住宅価格高騰し、省都などではマンションなどを買うのが難しくなっているというのを聞いてはいた。

しかし、現実にその不満を聞くチャンスはなかなかない。

中国人は中国をディスルことを避ける傾向があるからだ。

 

しかし、学生は昔よりは良いといっていた。

「30年、20年前はまず食べるものが無かった。
私も少し記憶がありますが、その時代に比べればいい。
私は中国人で良かったと思っています」

と言ったのが印象的だった。

中国という大国の中で、やはり生きる人の苦労があり、それは外からみている印象とは違うこともある。

そんな中国人の苦労に思いをはせる時間となった。

中国は先進国への道を歩き始めている。困難になった入国、銀行口座、携帯番号。

 

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中国は先進国への道を歩き始めている。困難になった入国、銀行口座、携帯番号。

かつて、うぃ~が大学教師になれる国があった。

今世界のどこに、うぃ~が大学教師になれる国があるだろうか。

コロナ禍という以前に、コロナ前にもほとんど存在しなかった。

 

ワンちゃん、ベトナムぐらいならいけたかもしれない。

 

私はかつて

  • 420時間講習完全未受講
  • 日本語教育能力認定試験なし未挑戦
  • 大学で日本語教育専攻または副専攻なし

という三重苦の状態で、海外に出るべく、ただそれだけのために日本語教師になろうとしていた。

海外に出たい。

ただそれだけの動機である。

でられればなんでもいい。

だから、当時の私にとっては、金を出して日本語教育のスキルを身につけようなどということは思ってもいなかった。

一番難易度の低い資格でも、50万円という大金がかかる。

そんなものは無駄な金だと思った。

 

このような正真正銘のうぃ~の私を、あろうことか一つの大国が迎え入れる。

しかもリスペクトをもってである。

 

大卒ならだれでも大学教師になれる。

そんな夢のような国。

そこは、購買力GDPで世界一位、つまり世界で最も影響力がある国、中華人民共和国である。

バンコクコールセンター、ワークアジア(マスターピース・グループ)の説明会に参加。

 

中国は着実に先進国への道を歩き始めている

そんな夢の国中国が変わりつつあるのを、コロナ禍の入国で感じざる得ない。

中国は発展途上国から先進国へ変わろうとしているのではないだろうか。

そう解釈できるような事象や情報を、よく耳にするのだ。

 

コロナ禍のビザ取得や入国手続き

このいい加減な面も強い中国で、コロナとネット規制だけはよくここまで厳格にできるものだと感心する。

ネット規制にはまだまだVPNなどの穴があるが、これはそれ以上の規制の必要がないからという理由もあるらしい。

つまり壁を超える人間は、あえて中国に反発する得がないことを悟れるからだそうだ。

 

コロナ禍入国ビザ習得の困難さや招聘状システム、IT手続きの多さをみるだけでも、もうこれは並みの国ではないことは分かる。

 

コロナ後の中国

中国にコロナ以降という時代がいつ訪れるのは分からない。

完全にコロナをゼロに抑えることが、世界中の国で実現すること。

あるいは完全なワクチンや治療薬ができること。

などが実現すれば、0コロナ対策の中国でも、開国に向かだろう。

 

しかし、その時にうぃ~を受け入れた中国がまだ残っているだろうか?

その期待はかなり薄いと言わざるを得ない。

アジアの2030年、2050年を予測する。中国、インドのGDPと比較。

 

銀行口座が開設できない

いろいろな手続きが困難かつ選抜式になっている。

最近聞いたのは、外国人が銀行口座を開設するのが困難になっているということだ。

 

今回働く学校は、招聘状をもらうなど交渉力は相当高い。

だが、その学校をしても、外国人の銀行口座開設に相当手こずるらしく、私が口座を持っていると知るととても安心していた。

何日も頼み込みにいかないといけないらしいのだ。

 

しかし、考えてみれば日本でも同じだろう。

日本に来ているミャンマー人の技能実習生がいきなり銀行に来たとして、それは無理なことかもしれない。

 

携帯番号(simカード)が買えない

4年前に中国入りした時は、赴任したその日に学生に連れられ、すぐ中国移動(大手携帯通信会社)に行きsimカードを手に入れた。

しかし、今回パスポートを見せるだけではsimカードが買えずに苦戦している。

パスポートに居住許可証が貼っていないとダメだというわけだ。

 

結局、省政府にパスポートを提出し、許可証が貼られて戻ってくるには一週間以上かかる。

その間は外でスマホが使えないことになってしまった。

 

日本語教師にとっては受難の時代

日本語教師にとっては厳しい時代になるだろう。

日本の大学で、講師ができるような人材が求められる時代がくるかもしれない。

 

日本の大学では、ただの大卒では非常勤講師になるのでさえ無理だ。

高度な専門性が要求される。

まして常勤ともなると、それなりの研究実績もいるだろう。

 

その代わり、非うぃ~で日本語教育プロパーの日本語研究者などは優遇されるに違いない。

今後は、どこか名のある大学の修士号を、関係分野で取得しなければいけない時代になるのだろうか。

 

そして、外国人教師だけではないだろう。

当然現地採用が厳格に管理される程、駐在員などのエリート非うぃ~の人しか中国に滞在できなくなるはずだ。

 

 

まとめ

中国の先進国化が避けられない流れとはいえ、どこか寂しさを感じる。

まだ中国で日本語教育が黎明期だった2000年代初頭のブログなどには、うぃ~や70歳の定年退職者が日本語教師として、大学で働いていた時代があった。

その中から、優れた指導者も生まれている。

 

現在では、ほとんどそのような人は見られなくなった。

中国に住みたい、ただそれだけの理由で中国で働ける日本人というのは、これから先減っていくだろう。

どんな分野でも、学歴や能力を高める必要がありそうである。

コロナ禍での中国渡航から瀋陽隔離。1日目。2021年9月。

 

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中国人とチャイナドレス。チャイナドレスは満州族の民族衣装。

チャイナドレスは本当に美しい。

ベトナムの伝統衣装であるアオザイに似ている。

スタイルがいい民族だけに、このようなピッタリした服は映える。

しかし、ベトナムのアオザイとは決定的に違う点がある。

それは、チャイナドレスが商業的な衣装である点だ。

対してアオザイは商業的な意識で派手になったとはいえ、ベトナムを真に代表する伝統衣装だ。

アオザイは、韓国のチマチョゴリや日本の着物にあたる服である。

司馬遼太郎 の『人間の集団について~ベトナムから考える~』

 

中国人とチャイナドレス

中国のチャイナドレスは、その見た目の派手さから、伝統衣装ではなく商業的な目的で使用された。

次第に有名となり、特に海外では中国人を最も象徴する伝統衣装として定着してしまう。

しかし、実際に日常生活でチャイナドレスを着ている女性をみることは、サービス業の人以外ない。

 

チャイナドレスは満州族の伝統衣装

チャイナドレス満州族伝統衣装である。

満州族というのは、現在台湾の中華民国以前、清王朝として中国大陸やモンゴル、台湾ベトナムまで支配した王朝だ。

この満州族は現在中国の人口の1%未満。

約1000万人が住んでいる。

彼らにとっては当然民族衣装だろう。

しかし、とてもではないが中国を代表する伝統衣装とはいえない。

 

満州族とチャイナドレス

大学で授業をしていると少数民族の少なさを意識することが多い。

人口規模の大きな少数民族でも1000万人ほどしかいないのだから、中国の全人口からすれば圧倒的に少ない。

やはり中国は漢民族の国であるという印象になる。

私の学生で、満州族だった学生は一人だけいた。

女性で名前は日本読みで「カクビョウ」といい、少し背は低いが美しい学生だった。

初めてそれを聞いた時、周囲はざわついた。

満州族と知れば、周囲がざわつく、それぐらい珍しい存在だった。

私も出会ったことがなかったので、本当に驚いた。

 

彼女ならおそらく、チャイナドレスを正式に着ることがあるのだろうか。

満州族と言っても、言語も生活様式も漢民族と同化してしまった。

もしかしたら、そのような機会もないのかもしれない。

 

しかし、結婚するのは同じ民族同士だけだという。

彼女もやはり、教室内で恋愛することはついに一度もなかった。

 

チャイナドレスは中国語でチーパオ

ちなみに、チャイナドレスは中国語チーパオという。

これを知るだけでも、欧米的な価値観とは違う別物なんだと思えてくる。

中国人にとっては、チャイナドレスは存在せず、それはチーパオなのだ。

中国人女性の顔は丸いのか?丸顔か?江蘇省の丸い顔

 

中国人の伝統衣装は漢服

中国人伝統衣装と言えば、漢服が中心となる。

 

決して、チャイナドレスではない。

これは中国では当然のことだが、日本など外国では認識が違っている気がする。

漢服は、漢民族の伝統衣装なので、当然大学でもみる機会がある。

日本の着物と同じか、もう少し身近な感覚かもしれない。

 

私の授業でも、漢服で受ける学生が時々いた。

聞くと、特にイベントというわけでもないという。

 

伝統衣装を着るのを趣味にしている学生は多く。

小遣いで買って、友人たちに写真を撮ってもらうのだ。

小撮影会を開くのを楽しみにしている学生は多い。

 

チャイナドレスまとめ

結局、

日本には忍者がいて、着物を着ている人が普通にいる。

という誤解と同じようなものが中国にもあるということだ。

その代表格が、チャイナドレスだろう。

もっともイメージ通りのことも多いのだが、なにがどうやって外国に伝わるのかは、考えてみれば興味深いことである。

黒竜江省美人(女性)の特徴。中国東北部。

ベトナム(ハノイ、ホーチミン)の最低賃金についてのメモ。

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ハルビン(哈爾浜)の朝は驚くほど早い。黒竜江省の朝は早い。

まだまだ落ち着かない日々が続いています。

主な原因は、目的地についていないことです。

目的地は分かっていますが、その目的地はハルビンから300キロほど離れており、まだ旅が続いている感覚です。

もう日本の実家を出てから7週目に入っています。

なんという長旅でしょうか。

バックパッカーとしてでも、私は一カ月以上旅をしたことはありません。

 

ハルビンの朝は早い

ハルビンは驚くほど早いです。

6時前には車の通りが多くなり、大通りが動き始めます。

6時過ぎには普通に車が通り始め、7時半になれば中心部には渋滞が発生していました。

 

吉林省の時は、大学の中だったため、中国人が特別朝が早いとは感じませんでした。

私は毎日七時前に寮を出て、大学の教室に向かっていましたが、どちらかというと学生や地域住民もまだ活動前という印象でした。

いつも、私が屋台で粥を買うときは、まだほとんど客はいませんでした。

 

おそらく早い人もいるし、遅い人もいるという感覚で、日本と変わりません。

黒竜江省は、吉林省よりさらに寒いので、明るいうちに活動する習慣なんだと思います。

同じ東北地方での違いに驚きました。

 

また、ハルビンが省都であるため、比較的忙しい人が多いのかもしれません。

 

健康診断へ行きました

今日は、7時に待ち合わせをして健康診断へ。

7時に待ち合わせて健康診断へ行くというのが、もう日本人の感覚からすると信じられません。

学校や寮は、ハルビンの中心部にあり、手続きや健診など20分もあればどこの施設にも着いてしまします。

にもかかわらず、待ち合わせはいつも7時。

同じ中国人でも、南方出身しゃだと違和感があるだろうな~と思います。

 

今日の健康診断も、受付は8時までなのだそうです。

信じられません。

 

ハルビンは夜も早い

ハルビン早いです。

眺望のいいマンションの11階が寮の部屋なのですが、22時ごろには家々の電気が消え始めます。

12時前10分前とかに寝るときが多いのですが、その時刻になるともうほとんど明かりのある部屋がなくなります。

 

以前の大学ではこんなに眺望のいい部屋ではなかったので、消灯の時間を気にしたことはあまりなかったです。

ですが、おそらく朝が早い分、寝る時間も早くなっていると思います。

 

ハルビン(哈爾浜)の物価メモ

タクシー初乗り8元

タクシー5キロ:20元ぐらい

フードコートの定食14元

農夫山泉(ペットボトル500の天然水)1.5元

 

吉林省の第三の都市でタクシー初乗りは6元だったと思うので、やはり少し上がっています。

ですが、その他はあまりまだ目立って差は感じていません。

コンビニで初めて、というか今回中国に来てから初めてまともに物を買いました。

これだけ買って24元です。

だいたい450円ぐらいでしょうか。

 

ハルビンビールがあるので、日本で買うと200円以上は高くなると思います。

そんなに安って感じでもないですが、まぁ日本の6割ぐらいが平均かもしれません。

ハルビン(哈爾浜)観光。聖ソフィア大聖堂と中央大街へ。

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ハルビン(哈爾浜)観光。聖ソフィア大聖堂と中央大街へ。

ハルビン哈爾浜)を初めて観光してきました。

東方のモスクワ。

東方の小パリ。

と謳われるハルビンを初めて観光してきました。

帝政ロシア時代、ロシアが不平等条約を結び、名もなき漁村に過ぎなかったハルビンは鉄道基地として発展を遂げました。

 

ハルビン観光

まずは中国東北地方の花形、最も有名な観光地であるといってもいいシンボルへ。

タクシーで向かいました。

本当は地下鉄で行きたかったのですが、まだ携帯電話番号がなく、健康コードがありません。

そのため、地下鉄や公衆トイレ、観光地や商業施設の中には入れないというリスクのある観光でした。

 

実際にハルビンの街を歩くのも初めてでした。

やはり、初めての街と言うのは刺激的で、自然とテンションも上がりました。

 

聖ソフィア大聖堂

ハルビン、黒竜江省にとどまらず、中国の観光地を代表する建築です。

 

本当は中に入れれば、美しい教会の内装を堪能できたそうですが、またの機会に満喫しようと思います。

聖ソフィア大聖堂。正面から。

 

右辺から。観光客の出入り口がある。

 

ぐるっと回って横から。

 

どこから見ても絵になります。

 

中央大街

ガイドブックに乗っていた中央大街にも行きました。

1900年に建設が始まった、ハルビンを代表する歴史的な通り。

聖ソフィア大聖堂から徒歩ですぐのところにあります。

 

この場所の「中央大街」のロゴもかなり有名。

 

土曜日なのでにぎわっていました。

 

帰りに迷子

余談ですが、帰りに迷子になってしまいました。

自分が住んでいるところもはっきりせずにタクシーで出てきてしまったため、帰れなくなってしまいました。

いつぞや、インドのコルカタでの記憶が蘇りました。

当時は40度を超える暑さで死を意識しましたが、今回は凍死を意識しました。

最悪タクシーを捕まえられましたが、肝心の目的地を完全に見失いました。

ホームページで調べた学校の住所と、実際に私が乗った場所が全然違っていたようです。

健康コードがあり、最寄りの地下鉄やバスから行ければ、すぐに察しがついていたとは思います。

最後は公安のお世話になってしまい、散々なスタートとなりました。

 

ハルビンの印象

ハルビンの印象は私が思い描いていたものとはちょっと違いました。

道に迷った時、ホテルや携帯ショップに駆け込んだり、道行く人にも何人も助けを求めましたが、なんと助けてくれません。

今まで、もういいから帰ってくださいうぃ~、と言っても世話を焼いてくれた中国人の姿はありませんでした。

黒竜江省美人(女性)の特徴。中国東北部。

 

美しく聞き取りやすいハルビンの中国語

みなが話す中国語の発音はやはり綺麗でした。

それは吉林省と違ってイメージ通りです。

ですが、人の心が、黒竜江省東部で感じたものとは別でした。

これは感覚的なもので正確には言えません。

しかし、ハルビンはロシア人が作った街、そして日本も関りがあります。

どこか、非中国的な空気を感じてしまいました。

吉林省(長春市)と黒竜江省(ハルビン市)が、最も普通の中国語に近い様だ。

 

私は黒竜江省で生きる

いろいろな理由で、とりあえず2年はなんとかここでやっていくつもりです。

婚活というのはついでの理由で、他にいくつか大きな理由があります。

まぁ、それは追々書けるときがあるかもしれません。

もうすでに触れたこともあると思います。

しかし、私にはチチハルうぃ~がどんなところでもそこでやっていくつもりです。

チチハルにはまた、違った風が吹いていることでしょう。

 

まとめ

とりあえず、聖ソフィア大聖堂中央大街という二大観光地に行くことができて良かったです。

いつまで哈爾浜ハルビン)にいれるか分かりませんので。

動画とかも取ったので、また編集して追加しようと思います。

今はどうやってブログを継続していくかが課題です。

 

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