中国に物乞いがいた頃。手足のない人や美人、皮膚病。北京、上海。

2009年、私はリーマンショックの不況から無職となり、失業の身となった。

その時、ちょうど友人も教員の仕事が無いタイミングで、中国へ旅をするという。

私は一緒に来ないかと誘われた。

 

友人には打ち明けていなかったが、当時私は精神的に病んでいた時期である。

この病のせいで、私の20代は生産性のないものになっていた。

 

そんなことから、当時中国へ行くのはかなりの決断が必要だった。

当然、メディアの影響から中国は怖いところだと思っていたし、なにより病気で旅をする自信が持てなかった。

それでも、死ぬことはないと思って、行く決断をした。

なにか大きな刺激が必要だったのかもしれない。

 

北京で手足のない物乞いを見る

2009年、私は初めて中国へ行った。

北京の空港に降り、初めて中国の空気に触れた。

まだ今よりも埃と熱気にまみれ、映画の中のような喧騒が残っていたように思う。

 

北京の地下鉄に乗れば、必ず物乞いがいた。

駅のホームには物乞いのグループがたむろして待機していた。

彼らは一日中地下鉄のホームと車両の中で、物乞いをしながら過ごしていた。

手足がない者、ヒドイ皮膚病の者、それらの親子連れなど。

びっしりと客のいる地下鉄の中で座っていると、音楽を流しながらゆっくりと這ってくるのだ。

それは、本当に恐ろしい体験だ。

インドでも多くの物乞いを見た

電車の中での集金も体験したが、あれは強制的に集金するヤクザのようなもので、別のこわさだった。

 

中国地下鉄の中では、精神的にダメージを受ける感じが強かった。

彼らの姿かたちは、人間とは思えない程変形したり、病気になったりしていて、恐怖しかなかった。

 

上海の道端で美人詐欺師に会う

当時の日本はまだ世界2位の経済大国、一人当たりGDPでも中国とはまだ大きな差があった。

日本人や日本円というだけで、金の匂いが残る。

そんな時代だったのだろう。

上海の街をブラブラしていると、日本人というだけで声をかけられた。

日本語を話せる美人が突然話しかけてくることもあった。

 

「大学で日本語を勉強している。

私の仲間を紹介したい」

今だったら信じられないような、日本人を狙った美人詐欺師のようなものが存在した。

 

消えた物乞いや詐欺師

北京上海にいた物乞い詐欺師は、今はどうしているのだろうか。

おそらく、貧しくなった日本人を専門に狙う美人詐欺師などもう存在しないだろう。

そして、北京のオドロオドロシイあの地下鉄物乞いグループも、もう存在しないのだろう。

 

あんなわけのわからない世界があれば、中国の評判はガタ落ちになる。

おそらくあれ以降すぐに規制されたはずだ。

もしくは、あの当時すでに混沌は消えつつあり、あれらは最後の混沌であったのかもしれない。

 

豊かになった中国が失ったもの。それは言葉にならない、うぃ~そのものである気がする。

 

2009年の中国

昨日、学生からの読解問題で質問がきた。

要約すると、

「田舎の自然をありがたがるのは街の人だけだ。街の者は、週末だけ田舎にきてありがたがっ

て帰っていく。

そして、環境保護などを訴える。しかし、田舎の発展は田舎の者にとっての悲願なのだ」

というような内容だった。

学生はそれに賛同し、私に同意を求めるためにメッセージをくれたようだった。

私は少し感情的になった。

なぜなら、私はド田舎の人間であるが、私自身が田舎の自然が無くなるのを嘆いているからだ。

それは多様性であり、混沌であり、火であり、陰であり、危険でもある。

それらの消失を、過疎化でセブンイレブンまで10キロも離れている私の故郷でも感じるのだ。

 

分からないもの、恐怖するもの、2009年中国にはそんなものがまだ多く残っていたのを、その学生の質問で思い出した。

学生は虫や蛇が嫌いだといった。

 

全くなにを書いているのか分からなくなった。

 

貧困は嫌いだ。

食えないのは苦しい。

しかし、金が全てではない。

人の思想や誠は、ある部分うぃ~と繋がっているのではなかろうか。

中国語で先生は”○○さん”の意味。中国語で先生は”老師”。

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中国コロナ隔離生活の食事。隔離飯ブログ。東北黒竜江省ハルビン。

中国東北地方、黒竜江省の省都ハルビンで隔離されているクニヤメです。

 

正確には隔離の終了が今日の午前に伝わり、突然終了となりました。

とりあえず、ほっとしています。

入国隔離から、マンション内濃厚接触者発生の隔離が続き、解除された数日を挟んで合計45日ほど隔離されていました。

 

入国隔離の記事↓↓

 

ホテル隔離では自炊の必要はありませんが、寮隔離だとそういうわけにもいきません。

無職飯いらい、数年ぶりにガッツリ自炊生活をしましたのでブログに記録しておきます。

無職が作る料理

基本的には↑の記事のように作っていますが、調味料が

  • 醤油

だけなので、さらに単純に作っています。

 

中国マンション隔離での食事

私の最終目的地は、中国黒竜江省のチチハルですから、今は入国してから赴任する途中です。

入国隔離のデフォルト5週間隔離(濃厚接触者発生で+1週間延長)の中で、最後の週間をハルビンの職場関係の寮(民間のマンションの一室)で過ごしていました。

ですから、ある意味特殊な環境です。

とりあえず食材が満足には無い中で、米と野菜はあったのでひたすら中華鍋で中華料理を作っていました。

入居する前にいろいろ用意してもらっていた中に、まだタグのついた新しい中華鍋があり、それが私の生活を救いました。

けっこういい物なんだと思います。

中国生活が落ち着いたら、絶対おなじ中華鍋を手に入れようと思いました。

 

隔離中に作った食事

ほとんど野菜炒めのようなものを作っていました。

いわゆる中華ですね。

隔離中に作った食事ブログに記録しておきます。

前半はまだ彩も豊かです。

まだ食材が豊富でした。

 

特に卵がかなりあったので惜しみなく使っていました。

まだ隔離が延長される前なので、余裕もありました。

 

野菜も減ってきて、卵も少なくなり始めます。

再び隔離が始まったころです。

 

精神駅な余裕も無くし、少ししんどかったです。

この辺りからいつもカレンダーを見て、隔離が終わる日を毎日考えるようになりました。

 

 

キャベツの素炒め

貧乏一人暮らし歴の長い私ですが、さすがにあまり経験がありません。

そんな領域に入りました。

タンパク質が無いだけで、かなり物足りなくなります。

一昨日ついに卵があと一個になり、次の日のトマト炒めのために残しました。

 

トマトと卵炒め

昨日の晩。

トマトと卵炒め。

卵一個で十分なんですね。

けっこう上手くできた方です。

 

これで卵がゼロになりましたが、結果的には今日隔離が終わりナイスタイミングでした。

あと一週間は続くと聞いていたので、嬉しい誤算でした。

 

以上、中国コロナ禍での自炊隔離飯についてブログしました。

中国人と中華料理。中華思想とインドにおける中華料理。

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東北石油大学のこと。レベル、全国重点大学、黒竜江省大慶市。

最近気になっている大学が、黒竜江省大慶市の東北石油大学です。

この大学、いくつかのネットで国家重点大学になっていたり、いなかったりしました。

黒竜江省の田舎になぜ全国重点大学が?

と思った私はちょっと調べてみようと思いました。

ちょうど現在隔離されているハルビンと、赴任地のチチハルの間です。

 

黒竜江省大慶市の中国石油大学

中国の大学を調べると必ず出てくる「中国の主要大学800」の情報を見てみます。

以下引用

沿革 清華大学の石油学科を母体として1960年に「東北石油学院」が設立。1975年に「大慶石油学院」を経て、
2010年より「東北石油大学」の校名となった。
特色 中国最大の石油石化基地である黒竜江省大慶市に所在し、黒竜江省と中国石油天然ガス、中国石油化工、
中国海洋石油が共同運営する地方重点大学。
工学を主体として人文学系の学科も備えた総合大学で、中国の石油関連業界にハイレベルな専門人材を輩出している。

 

中学科学院と中国工程院

中学科学院の数の多さが目立ちます。

中学科学院が5で中国工程院が1とあります。

黒竜江省でおそらく2番目に有名で偏差値も高いであろうハルビン工程大学(Harbin Engineering University)
と比較してみます。

ハルビン工程大学は中学科学院が6で中国工程院が1です。

この名門大学でその数字なので、大部分の大学、はこの中学科学院と中国工程院の数はたぶん0なのではないかと思います。

 

試しに最初に赴任した吉林省では一本(中国の大学の等級、一本が最難関)に入る吉林師範大学で調べてみました。

すると、やはり中学科学院と中国工程院の項目はーになっており、ありません。

吉林省では全国重点大学の吉林大学、東北師範大学に次ぐ、3~4位ぐらいの偏差値を誇ります。

普通の名門大学では0だということだと思います。

東方石油大学は、国家がかなり力を入れている重要な大学と考えて間違えなさそうです。

 

東北石油大学のレベル、大学ランキング

中国大学ランキングで、東北石油大学を調べてみました。

有名どころの大連交通大学より上になっていますが、重点大学のわりには低いです。

なんとなく、150位以内には入っているかなと考えていました。

 

ランキングは右肩上がり

ですが大学ランキングは右肩上がりで上昇中です。

今後の200位入りも夢ではなさそうです。

 

東北石油大学は全国重点大学の一つ

百度で調べると、東北石油大学が確かに全国重点大学であることが分かりました。

 

”20世紀は石油を巡って戦争をし、21世紀では水を巡って戦争をするようになる”

というのをどこかで聞いたことがありますが、やはりそれだけ石油の産出というものが大きかったということですね。

黒竜江省にはハルビン工業大学、ハルビン工程大学の3つしかありません。

また、人口一億人を誇る河南省には、そもそも重点大学が一つもありません。

これは意外なことですね。

 

国家重点大学の基準

ランキングは偏差値の高さとおおむね連動していると思います。

国家重点大学基準は、おそらく

  • 大学のある場所
  • 偏差値や知名度
  • 専門性の重要度

など、複合的に決まるのだろうと思われます。

東北石油大学の場合は、石油という資源がいかに大事であるかという現れでしょう。

 

1960年の大慶油田発見と共に誕生

大慶油田は1960年に発見された中国最大の油田です。

ウィキペディアで大慶油田を調べてみます

以下引用

1960年代の開発時には、多数の労働者を人海戦術で投入。
他国(少なくともアメリカ合衆国)の技術を用いずに施設を完成させたとして、労働者の模範的職場として賞賛され、「工業では大慶に学べ」というスローガンが生まれた。
最盛期には日本の原油輸入量の3割に相当する年間5000万トン以上の生産量を誇った。しかし、中華人民共和国の世界貿易機関加盟により国際的な価格競争にさらされ、1990年代以降は著しい合理化が進められた。この結果、労働者の大量リストラ、レイオフが発生。中国では珍しい退職者も含めた大規模デモが発生した。また、大規模な天然ガス噴出事故に伴う労働災害が発生するなど、中国における労働者事情を語る上で、未だ頻出するキーワードの一つとなっている。

中国最高峰の精華大学の石油学科を母体としたということは、おそらく当時の国家プロジェクトとして大慶での油田開発研究が行われたことが分かります。

 

学院から大学へ昇格

東北石油学院が開設され大慶石油学院になり45年後に、東北石油大学に昇格しています。

○○学院という国家重点大学はないので、やはり大学名も重要ですね。

 

東北石油大学と日本語学科

東北石油大学にも外国語学部がある。

残念ながら日本語科はなく、英語とロシア語だけが確認できた。

 

三峡ダムと三峡大学

ここで、私はもう一つのある大学が気になりました。

湖北省宜昌市の三峡大学です。

日本語学科もある、かなり優秀な大学です。

 

三峡ダムも、国家の威信をかけた一大プロジェクトで、水力発電でウハウハのドル箱施設のはずです。

そして、それを管理する目的だけのために三峡大学があるといってもいいと思います。

ですが、三峡大学が国家重点大学というのを聞いたことがありません。

 

ランキングを調べてみました。

ありました。

167位、東北石油大学よりも上です。

また寧夏回族自治区で一番偏差値の高い寧夏大学よりも上です。

 

しかし、国家重点大学ではありません。

湖北省は5つの全国重点大学を抱えていますから、その中にいれてもいいような気はします。

やはり、水利より石油ということなのでしょうか。

 

以上、東北石油大学についてのレポートでした。

今後も気になる大学があれば、調べてみたいと思います。

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黒竜江省は今日もコロナとの戦い。隔離。雪の哈爾浜(ハルビン)

昨日の夜はなんかゴロゴロと外が騒がしいなと思って窓の外をみると、一面雪景色でした。

たぶん、車のタイヤか除雪の音だと思います。

 

私が隔離に入って以来、中国東北地方でも市街地の積雪は初です。

 

ゴロゴロとタイヤの音がうるさく、夜は寝苦しかったです。

朝8時に目を覚まして外を見ると、白い世界が広がっていました。

 

寒いです。

室内なのに冷気が窓から漏れてきます。

暖房を強くしてほしいです。

 

※出典

 

 

黒竜江省はコロナとの闘いの最中

日本ではコロナがとても減ったという情報を目にします。

世界的にも、どんどん規制が緩くなっているようですね。

 

しかし、ここ中国では減ったではダメです。

ゼロに抑えないといけません。

政府に全くブレがありません。

国民市民の間でも、しっかりと政府に従う意思を感じます。

 

私は5週間+2週間=計7週間隔離をされている最中ですが、最後の2週間は寮に濃厚接触者が出たからです。

濃厚接触者と言っても、日本とは違います。

情報によると感染者の濃厚接触者と同じ場所にいた人が、このマンションの区画にいるというような程度です。

中国コロナ対応。入国隔離から濃厚接触者マンション封鎖隔離へ。

携帯アプリのAIによる自動追跡で、同じ空間にいただけで即閉鎖です。

前触れもありません。

準備もできません。

ぞろぞろと公安がやってきて、何時であろと敷地内にいた人全員を隔離です。

ガシャガシャと封鎖して、それで終わりです。

 

保証らしい保証もありません。

会社員の人はまだいいかもしれませんが、自営業の人などは即収入が途絶えます。

 

当然とまどいの声が上がりますが、すぐに切り替えてなんとか生きています。

中国市民はコロナの戦火の中にいると感じます。

 

黒竜江省のコロナ感染状況

※出典

今日の中国のコロナ感染者は全国で65人。

黒竜江省は最近感染者が出ている北の黒河市での感染者だけで、ハルビンは0のようです。

外国から入った感染者を除けば、やはり遼寧省など東北地方が少し目立ちます。

やはり大連も、外国からの流入がきっかけでたびたび流行していますね。

 

黒竜江省のコロナ対策

現在日本から直接黒竜江省に来れるフライト便はありません。

ですから、中国人でも黒竜江省に来る人は、他の省を経由しなければなりません。

ハルビンはもともと低温乾燥でコロナが広がり易く、雪まつりでの流行もありました。

当局から完全にマークされているので、厳しい措置を取らざるを得ないのでしょう。

 

私は遼寧省の瀋陽から入りましたが、対応は明らかに黒竜江省より厳しかったです。

 

今日は買い出し許可が出る

今日は団地内にある店なら、買い物ができるそうです。

ただし、外に出られるのは一部屋で一人までだそうです。

思ったように買い物できるかは分かりませんが、外に出るだけ出てみようと思います。

 

以上簡単に、黒竜江省ハルビンでのコロナの日常と隔離の報告でした。

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中国の内巻化。80年代生まれは日本の1950年代生まれと同じ。30年前。競争。

中国では寝そべり主義という言葉が流行になるほど、社会的な閉塞感が急速に広がっている。
(最も日本は30年以上閉塞の中にいるのだが、中国にしてはということだ)

もっとも中国の場合は、10年後も、30年後も一人当たりのGDPは日本を超えることはないとされており、それなりの成長が続くことが予想されている。

日本のように税金を含めるとマイナス成長、つまり実質賃金が下がるという現象は起きないと言われている。(日本のように給料が下がるというのは、本当に特異な現象だ)

 

中国社会の内巻化と競争

最近中国では、現代社会を表す言葉として

内巻化”と呼ばれる言葉が流行している。

 

この言葉は適当な日本語訳が存在しないことで有名である。

社会が一定水準以上に成熟し、誰もが過激な競争をしなければ普通の生活をすることが難しい社会。
‥‥無理に訳すとそんな感じになる。

 

中国人とマンション、住宅。中国の不動産価格高騰による影響。

こちらの記事でも現代中国を生きる若者の苦労に触れたが、問題は住居問題だけではない。

受験や就職活動でも、日本とは比較できないような競争が待っている。

 

 

”わが子を国家重点大学へ”

という親や社会の共通理念が日本以上に強く、大部分の子供がその競争に巻き込まれていくのだ。

しかし、現場感覚で見ていると、国家重点大学に入るというのは並大抵のことではない。

日本でいう東大京大阪大などに入るようなものである。

当然多くの学生は挫折してしまうが、次は国家重点大学の大学院を目指して、また激しい競争をすることになる。

 

また、当然そこから堕落したものは、一部が寝そべり主義というカテゴリーの社会問題へと移行していく。

エリートから挫折して、大学院に合格せずに勉強を続けている学生が多い。

彼らがニート化していくという問題も、今後増えていくだろう。

 

中国の80年代生まれは日本の50年代生まれ

中国の現代の若者に対して、1980年代生まれの中国人は本当に幸運だ。

彼らが学生だった時代は、だいたい2000年代前半から半ばぐらいである。

 

社会がまだ成熟していなかったため、新しい仕事や施設が次々と成立した。

多くの大学が設立され、新しい仕事のポストも次々と誕生した。

その恩恵を最も受けるのが、当時の新卒や若者達だった。

 

彼らは今より比較的苦労なく、国立大学や公務員試験、大企業に通った。

 

日本の50年代生まれ

中国の2000代の初頭の姿は、日本の1970年代と重なる。

1970年に社会に出た日本人(50年代生まれ)も、相当に恵まれていたはずだ。

特に70年代半ばまでは高度経済成長期の真っただ中である。

 

中国なら2000年代半ばに大学を卒業した人は、現在大学の教授や助教授になっている人が非常に多い。

その時代でも大学に新しい学部などの設立が続いていたためだ。

現代とくらべて競争は無いようなもので、大学生の数も10分の1である。

 

2000年代の後半ではもう時代の恩恵を受けた人は少ない。

これが時代を下るごとに大卒者が一般的となり、激しい競争となっていく。

 

中国社会は日本の30年前

中国社会を見るには日本の30年前をみることが有効かもしれない。

しかし、冒頭述べたように中国の成長はまだまだ続いていく。

それは、30年前の日本と違って一人当たりの経済力がまだ3分の1しかないからである。

従って個人の収入は1.5倍、2倍と順調に増えていくはずだ。

 

しかし、社会の趨勢では差がない。

いわゆるいい仕事や良い大学に入るのは難しくなってしまった。

ちょうどそれは今から30年前日本をみればよく分かる。

 

当時の日本は1990年代、ちょうど就職氷河期の世代である。

中国も少しずつ、社会がうぃ~を許さない時代になっていくだろう。

アジアの2030年、2050年を予測する。中国、インドのGDPと比較。

中国は先進国への道を歩き始めている。困難になった入国、銀行口座、携帯番号。

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中国でVPNが繋がらない。セカイVPN、セカイブラウザの使い方。安定。快適。

中国在住のクニヤメです。

私はセカイVPNを使って、中国でインターネットをしています。

 

 

Googleで調べると、中国のVPN接続で困っている人が多いようです。

 

この記事は

  • 中国でセカイVPNを使っているがうまく接続できない人
  • 中国に行くことが決まったが、VPNについて全く分からない人
  • 中国で他のVPNサービスを使っているが安定しない人

などの方を対象に書いています。

 

セカイVPNのサービスは無料期間があるので、気軽に利用できます。

 

ですが、とりあえず契約したものの使い方が分からない方もいると思います。

サービス内容が多く少しややこしいので、中国生活に必要なものだけ紹介します。

 

セカイVPNについて

こちらのサイトです。

 

セカイVPNで必要な契約

メールやサーバーなどのいろいろなサービスがあるようですが、中国のネット接続に必要なのは

セカイVPNの契約だけです。

 

セカイVPNで必要な月額料金

月額料金は、1100円と安くはありません。

支払いはクレジットカード払いが便利だと思います。

 

1カ月~2か月の無料体験機関があるので、迷ったら契約してみるといいと思います。

この会社は大手なので、解約も簡単にできます。

私は2年前に中国赴任していた時から、一貫してセカイVPNを使っています。

 

セカイVPNの使い方。セカイVPNアプリとセカイブラウザ

とりあえず契約したものの、いまいち使い方が分からない。

私もそんな状態で、間違った使い方をしてインターネットに繋がらない経験をしました。

 

ここでは、中国でのインターネット接続に必要なものだけを説明します。

中国でのネット接続が目的なら、おそらくこれで十分なはずです。

トップページから、会員サポートをクリック。

 

マイメニューから、マイメニューを開く をクリック。

 

サービス一覧 から 各コントロールパネルへ をクリック。

 

接続アカウント をクリック。

 

設定マニュアル をクリック。

 

下にスクロールします。

 

↓途中このように書いてありますが、中国の場合は私が説明する方法だけで問題ありません。

・セカイVPNはIKEv2・L2TP・PPTP・OpenVPN・OpenConnect・セカイブラウザの通信方式に対応しております。これらの通信方式での接続を順番にお試しください。
・特定のサイトやサービスにアクセスできない国ではOpenConnect、セカイブラウザの利用を推奨します。

 

セカイVPNアプリセカイブラウザ

セカイVPNアプリ と セカイブラウザ の2つのアプリが必要です。

 

Windows以外のOSは更に下にスクロールします。

セカイブラウザのアプリを入れていない人がいると思います。

 

セカイブラウザがないと、中国では快適に接続できない場所があります。

この2つをそれぞれのリンクからインストールしてください。

他のアプリは無視してください。

 

セカイVPNとセカイブラウザを起動

アプリをダウンロードしたら、トップ画面からアイコンをダブルクリックで起動します。

起動したら、日本を選択して電源マークをクリックします。

 

 

電源マークが緑に変われば、セカイVPNの接続完了です。

 

 

もし快適に接続できなければ、セカイブラウザを起動

2年前までは、これだけで快適に接続できていたのですが、今はセカイブラウザがないと無理な場所もあるようです。

 

私が現在住んでいるハルビンでも、セカイブラウザが必要でした。

瀋陽はセカイVPNだけでも、接続は可能でした。

 

トップ画面から、セカイブラウザをダブルクリックで起動。

IDとパスワードを入力し、専用のブラウザで利用するにチェックをしてログイン。

 

 

このようなブラウザが出れば成功です。

こちらの専用ブラウザからネットを利用することになります。

これで、おそらく日本並みの接続速度が出て、動画視聴も苦労しないはずです。

 

 

セカイブラウザとセカイVPNを切りかえたい時は、

トップ画面下から右クリックで終了できます。

 

セカイVPNの利点

セカイVPNはVPN接続ができていない状態でも、海外から契約が可能です。

しかし、中国からだとGmailが利用できないなど、少し日本からの協力が必要ですので、入国前に契約して接続できておけば理想的です。

 

1か月以上の無料期間があるので、気軽に試してみてもいいと思います。

大手ならではの安心感が最大の魅力かと思います。

 

以上、セカイVPN使い方についてでした。

中国ドキュメンタリー番組選。感動動画。中国瀋陽隔離10日目。2021年10月。

 

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満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

※これは2018年1月、初めて中国(吉林省)に赴任する前に書いた記事ですが、少しの訂正を加えて再投稿させていただきます。

 

若き日の祖父の写真である。

私を知る人なら私と瓜二つの顔に驚きを隠せないはずだ、多分色をつけて私の写真に混ぜていても、本人でも全く気付かないレベルである。

高校生の時に80代で亡くなった時は、そんなに似ているという感じなかったので、これは驚きであった。

今回、元満州に行く可能性が高いということで、実家で同居していた祖父の、太平洋戦争中の記録をまとめて資料を開いてみた。

大日本帝国の一兵士の記録であるが、ブログでアップすることで、誰かのためにはなるのではと思い、祖父の人生を振り返るついでに引用しておく。

 

一歩兵による太平洋戦争の記録~満州国境守備隊~

~動乱の歴史『我が人生』歴史研究会より引用~

国矢眼 義(仮名)

階級:陸軍伍長[歩兵]

表彰:勲八等旭日章・支那事変従軍記章

年齢:大正五年一二月二四日生

経歴:以下

 

大連上陸から新京(現在:長春市)へ

 

昭和13年1月10日。現役兵として小倉歩兵第十四?隊に入隊。間もなく守備隊要員として1月26日門司港を出港、大連上陸後に列車に乗り込み新京郊外寛城子に到着、満州派遣軍独立守備隊に編入となる。

軍人勅諭を精神基盤とした熾烈極まりなき新兵教育が始まる。各個戦闘、銃剣、白兵、射撃、行軍等の猛訓練が行われる。連日連夜にわたり訓練が行われ、上官の靴磨きや宿舎の掃除、寒いというよりも痛さを感じる極寒の中でする洗濯、早朝より始まる銃剣術の猛稽古と一服の暇もない三カ月が過ぎ去る。

一期の検閲を終え奉天に移動、二カ月後、国境守備隊に編入となり虎林へと派遣され、一カ月交替で国境線の警備につく。ウスリー河を挟んで対岸はソ連領となっており、対岸のイマンにはソ連軍の軍隊が駐留、夏の間はソ連軍の小艦艇が往来するのがよく見えていた。短い夏は瞬く間に過ぎ去り、冬将軍が猛威をふるう頃になるとウスリー河は厚い氷が張りつめ、何処が上流か下流かの見分けもつかない程になる。大平原を緩やかに流れる川の中には幾つもの中州ができていた。一触即発の危機はらむソ連軍との間に点在するこの中州に、同郷の出身で同時に小倉?隊より出た仲の良い四名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を歩き中州の偵察に出かけたが、河の中央付近で突如としてソ連軍の機関銃を浴び、四名がそろって即死するという大事件が起きた。

↑字が分からないものは〇とした、表現が劇画調になっているところがあり、少しの訂正を加えた。

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03(2019年8月)

 

奉天(現在:瀋陽市)から虎林へ

奉天というよく出てくる地名は、旧満州の奉天省奉天市というところで、現在の遼寧省の省都で、東北地方最大の都市である瀋陽にあたるらしい。

虎林(フーリン)というのは現在でも黒竜江省にある、ハンカ湖という湖とロシア国境の近くに見つけられる。ウスリー河と言うのは、国境を流れるアムール川の支流の一つであるようだ。

二世代前の祖父が、なんと半世紀以上も前に満州に渡り、赴任する確率の高い四平(スーピン)の近くにいたというのが、時代とはいえ感慨深い。

 

最低気温-40℃のウスリー河

 

仲の良い四名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を歩き中州の偵察に出かけたが、ウスリー河の中央付近で突如としてソ連軍の機関銃を浴び、四名がそろって即死する。

この場面は小さいころからよく話を聞かされていたのだが、私の記憶の中では川に遊びに行って打たれたと勘違いをしていた。

よく考えたら遊びじゃなくて戦争なんだから、遊びに行くはずがないし、祖父も遺体回収の役だけは御免だったと話していたのを覚えている。

国境という僻地であり、まだ温暖化とは無縁の時代である。

外で立ち小便をすると、地面から尿がすぐさま凍り付いてアーチを描いたという・・・

現代ではそうでないことを祈るばかりだが、最低気温-40℃にも迫ろうかという極寒であるから、覚悟しておいた方が良さそうだ。

 

祖父がもらった勲章の一つ、支那事変従軍記章

 

遺体収容の決死隊、遺骨を持って虎林を発つ。

~動乱の歴史『我が人生』歴史研究会より引用~

 

すぐに遺体収容のための決死隊が募られ、数少ない同郷出身の戦友の無残な戦士に、決死隊に志願するも相対峙するのみで、全くの交流もないソ連軍がいかなる態度に出るかは予想もできず、志願者も少なく、1人の遺体に四名の決死隊がやっと編成された。万一に備え決死隊は一人づつ出動、氷上の遺体にロープを結び収容に成功するも、冴えわたる月の下で見る戦友たちの変わり果てた姿に涙する。

身を切る極寒の中で、投弾筒手として、演習・訓練に明け暮れ、食事の暇もない夜間演習・特に冬季訓練の厳しさは忘れがたい。銃剣術も猛特訓の末、中隊二番の腕前になっていた。二年兵の時ノモンハン事件が勃発、直後に出撃準備を整えて待つも、まもなく停戦協定が結ばれ出撃は中止となる。

三年兵で未だ上等兵の時であったが、築上郡の戦友が戦死したため、中隊長より指名され「遺骨を持ち、内地帰還せよ」の命令。数年もの間、満州で過ごす幾多古参兵の多い中で特に指名していただいた中隊長に感謝し、月給が十円二十銭のころに、旅費としては百三十円をいただき、戦友の遺骨を胸に虎林を発つ。

 

 

牡丹江、ハルピンで一泊。ノモンハンの遺体。

 

途中、牡丹江ハルピンと各地で一泊したが、ノモンハンで戦死した遺体が乗せられ奉天を経由し大連に着く頃には、列車は遺体で埋め尽くされていた。大連より、吉林丸という豪華客船に乗り門司港に上陸。担当官に遺骨を渡し、久しぶりの故郷の土を踏む。

突然の帰郷に歓喜する母上や弟妹達と積る話に夜の更けるのを忘れる。三日後、名残惜しむ家族を後に満州の原隊へと復帰。間もなく打ち続く国境の紛争に備え、国境守備隊に機関銃中隊と歩兵砲小隊が新設され、歩兵部隊に七名の余剰人員ができた。七名中の一人として15年8月15日、内地帰還し除隊となる。(満州に駐留中の部隊は、太平洋戦争が勃発するや南方へと転戦、その将兵のほとんどが玉砕している)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02(2019年8月)

ハルビン(哈爾浜)観光。聖ソフィア大聖堂と中央大街へ。

 

祖父の幸運、吉林丸で満州から帰国。

 

月給が十円二十銭のころに、旅費としては百三十円をいただき、戦友の遺骨を胸に虎林を発つ

↑のことがなければ、祖父は日本に帰れずに太平洋戦争を迎え、南方に送られて皆と同じように玉砕している可能性が高い。

そう考えると、祖父と同郷の人が戦死してお骨を持って帰るという幸運がなければ、今の私はないだろう。

満州から門司港までのった豪華船が、吉林丸という名前なのも、なにか縁を感じる今日である。

しかし、月給が10.2円とは・・・・いったいどういう時代なのだ。

100年もせずとも物価というのは巨大になっていくんですね。祖父が実際に取材で語ったことだけに、その時の流れを感じられるというのは、貴重なことである。

 

帰国後の生活、鹿児島で教育係。

戦争記の続きを引用しようと思ってたんですが、面倒で楽しくないので辞めます。

まぁ前回までで外地は終わりで、祖父はそれから内地である鹿児島で教育係として働いたり、伍長に出世したり、太平洋戦争開始とその後の苦労が描かれるだけで、自分でも読んでて楽しくないです。

っていうか全部読んでません・・・

 

祖父のこと

話を戻して、祖父のことですが・・・・、私の年代の祖父としては、けっこう年だったので、太平洋戦争時にはわりと出世していたお陰で、激戦地には送られなかったのだと思います。

満州にいたのも太平洋戦争の前なので、ロシアとの国境守備と言っても、本格的な戦闘があったわけではないのでしょう。

私は子供心にロシアと戦ったという印象を持っていたのですが、祖父は本格的な戦闘はほとんど経験しないままに、戦争が終わった運のいい人だったのだと思います。

 

祖父は私を見て、なにを思うのだろうか

当時は日本の領土だった満州に、教師として孫が赴任するというのは、どういう心境なのだろうか。

全く想像できないけど、祖父が乗った満州からハルビンまでの鉄道に身内がのるとしたら、それは満州国であると思っていたでしょうね。

まさか日本が戦争に負けて、敵国の中国の領土に戻って、その敵国に日本語を教えに行くなんて、若き祖父にタイムマシーンに乗って説明しに行っても、信じてもらえないでしょう。

自分に孫なんてできないだろうけど、例えると自分の孫が将来、北朝鮮で日本語教師になっているような感じかな~

・・・・・とうていそんなことは信じられません。

時代は変わるものですね・・・・・。

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

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中国コロナ対応。入国隔離から濃厚接触者マンション封鎖隔離へ。

ひたすら我慢の時期が続いています。

 

家を出たのが9月20日、中国への渡航が9月23日。

そこからどれだけのPCR検査を受けてきたでしょうか。

まだまだ大丈夫だとは思いたいですが、かなり精神的にまいっているのも事実です。

とにかく外を歩きたいです。

 

コロナ入国隔離から濃厚接触者隔離へ

このさきどこまで隔離が続くのか、まだ見通しがたちません。

 

私がなぜここまで隔離されているかの原因は、

  1. 私が入国する以前から黒竜江省で感染者が出ていた。
  2. 規定の5週間隔離を終えてから、寮の中で濃厚接触者が出た。

という主に二点です。

1についは、日本からの入国では、デフォルトで5週間隔離されるかもしれない噂はありました。

以下の記事に書いています。

 

2については、全く想定外のことで、今後の対応が分かりません。

とりあえず、寮となっている部屋があるマンションが、二週間封鎖されました。

本当に突然のことでした。

準備もなにもありません。

 

連日続くPCR検査

今日もPCR検査がありました。

マンションの閉鎖が決まって三日連続です。

ここまでやるのかという感じです。

仕方がありませんから、従うしかありません。

 

私は現在省政府に、居留許可を貼ってもらうためパスポートを提出しています。

そして、その原因でSIMカードが作れません。(居留許可があれば作れる)

 

当然、訳の分からない日本人がいるということになります。

長い列に並んで順番が来ても

 

お~い、美女

なんか訳の分からない日本人がいるよ。

 

なんだこいつ、なにも情報がないって!

パスポートもってないのにできるのか?

 

などと叫ぶことから始まって、緊迫感が漂います。

少なからず完全防護スーツのメンバーが変わるため、毎回このような事態になるわけです。

 

ハルビンの屋外はもう寒いです。

脇で待たされるだけでも、けっこうな苦痛です。

中国人と美人と美女。中国に来れば誰でも美女?

 

隔離封鎖マンションの様子

今日はPCR検査のついでに写真がとれました。

店の入り口がそのまま街に通じる。封鎖されている。

 

寮がある区画はマンション集積地になっており、かなりのマンションが建っています。

そのすべてが封鎖されている感じでした。

このようにコンビニなどの店が、住居スペースと大通りを結び通り抜けられるのですが、全て閉鎖され入れないようにしていました。

 

PCR検査の列に並ぶ。

 

もし順番が回ってきても、そこから担当が学校に電話したりなどの面倒な対応が待ちます。

simカードが無いために電波が無く、学校から助けてもらうこともできません。

外国人でもパスポートさえあれば、特に問題はないようでした。

 

白づくめの人達。

 

防護服の人や公安などが周辺を見張っています。

ウロウロできない緊張感があります。

中国人住民でも、突然の隔離封鎖で困惑しています。

 

とにかくこうなってしまったら誰も外に出られない。

PCR検査の時以外は建物ごと閉鎖になります。

 

米を確保

学校関係者に頼んで、米を持ってきてもらう。

直接渡すことができないし、外では指示がもらえないので探すのに苦労しながらなんとか発見できました!

中国語を必死に使います。

 

良かった。

これで2週間生きられます。

 

以上、中国マンション隔離閉鎖のリアルレポートでした。

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中国は先進国への道を歩き始めている。困難になった入国、銀行口座、携帯番号。

かつて、うぃ~が大学教師になれる国があった。

今世界のどこに、うぃ~が大学教師になれる国があるだろうか。

コロナ禍という以前に、コロナ前にもほとんど存在しなかった。

 

ワンちゃん、ベトナムぐらいならいけたかもしれない。

 

私はかつて

  • 420時間講習完全未受講
  • 日本語教育能力認定試験なし未挑戦
  • 大学で日本語教育専攻または副専攻なし

という三重苦の状態で、海外に出るべく、ただそれだけのために日本語教師になろうとしていた。

海外に出たい。

ただそれだけの動機である。

でられればなんでもいい。

だから、当時の私にとっては、金を出して日本語教育のスキルを身につけようなどということは思ってもいなかった。

一番難易度の低い資格でも、50万円という大金がかかる。

そんなものは無駄な金だと思った。

 

このような正真正銘のうぃ~の私を、あろうことか一つの大国が迎え入れる。

しかもリスペクトをもってである。

 

大卒ならだれでも大学教師になれる。

そんな夢のような国。

そこは、購買力GDPで世界一位、つまり世界で最も影響力がある国、中華人民共和国である。

バンコクコールセンター、ワークアジア(マスターピース・グループ)の説明会に参加。

 

中国は着実に先進国への道を歩き始めている

そんな夢の国中国が変わりつつあるのを、コロナ禍の入国で感じざる得ない。

中国は発展途上国から先進国へ変わろうとしているのではないだろうか。

そう解釈できるような事象や情報を、よく耳にするのだ。

 

コロナ禍のビザ取得や入国手続き

このいい加減な面も強い中国で、コロナとネット規制だけはよくここまで厳格にできるものだと感心する。

ネット規制にはまだまだVPNなどの穴があるが、これはそれ以上の規制の必要がないからという理由もあるらしい。

つまり壁を超える人間は、あえて中国に反発する得がないことを悟れるからだそうだ。

 

コロナ禍入国ビザ習得の困難さや招聘状システム、IT手続きの多さをみるだけでも、もうこれは並みの国ではないことは分かる。

 

コロナ後の中国

中国にコロナ以降という時代がいつ訪れるのは分からない。

完全にコロナをゼロに抑えることが、世界中の国で実現すること。

あるいは完全なワクチンや治療薬ができること。

などが実現すれば、0コロナ対策の中国でも、開国に向かだろう。

 

しかし、その時にうぃ~を受け入れた中国がまだ残っているだろうか?

その期待はかなり薄いと言わざるを得ない。

アジアの2030年、2050年を予測する。中国、インドのGDPと比較。

 

銀行口座が開設できない

いろいろな手続きが困難かつ選抜式になっている。

最近聞いたのは、外国人が銀行口座を開設するのが困難になっているということだ。

 

今回働く学校は、招聘状をもらうなど交渉力は相当高い。

だが、その学校をしても、外国人の銀行口座開設に相当手こずるらしく、私が口座を持っていると知るととても安心していた。

何日も頼み込みにいかないといけないらしいのだ。

 

しかし、考えてみれば日本でも同じだろう。

日本に来ているミャンマー人の技能実習生がいきなり銀行に来たとして、それは無理なことかもしれない。

 

携帯番号(simカード)が買えない

4年前に中国入りした時は、赴任したその日に学生に連れられ、すぐ中国移動(大手携帯通信会社)に行きsimカードを手に入れた。

しかし、今回パスポートを見せるだけではsimカードが買えずに苦戦している。

パスポートに居住許可証が貼っていないとダメだというわけだ。

 

結局、省政府にパスポートを提出し、許可証が貼られて戻ってくるには一週間以上かかる。

その間は外でスマホが使えないことになってしまった。

 

日本語教師にとっては受難の時代

日本語教師にとっては厳しい時代になるだろう。

日本の大学で、講師ができるような人材が求められる時代がくるかもしれない。

 

日本の大学では、ただの大卒では非常勤講師になるのでさえ無理だ。

高度な専門性が要求される。

まして常勤ともなると、それなりの研究実績もいるだろう。

 

その代わり、非うぃ~で日本語教育プロパーの日本語研究者などは優遇されるに違いない。

今後は、どこか名のある大学の修士号を、関係分野で取得しなければいけない時代になるのだろうか。

 

そして、外国人教師だけではないだろう。

当然現地採用が厳格に管理される程、駐在員などのエリート非うぃ~の人しか中国に滞在できなくなるはずだ。

 

 

まとめ

中国の先進国化が避けられない流れとはいえ、どこか寂しさを感じる。

まだ中国で日本語教育が黎明期だった2000年代初頭のブログなどには、うぃ~や70歳の定年退職者が日本語教師として、大学で働いていた時代があった。

その中から、優れた指導者も生まれている。

 

現在では、ほとんどそのような人は見られなくなった。

中国に住みたい、ただそれだけの理由で中国で働ける日本人というのは、これから先減っていくだろう。

どんな分野でも、学歴や能力を高める必要がありそうである。

コロナ禍での中国渡航から瀋陽隔離。1日目。2021年9月。

 

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中国入国隔離5週間を終えての感想。瀋陽+ハルビン隔離35日目。

ハルビン隔離での寮からの景色は、いくらでも絵が描けそうなダイナミックな街並みでした。

 

隔離寮からの街並み(ハルビン)

 

 

5週間という常識外れの隔離が終わろうとしています。

明日にはシャバに出れそうです。

この0コロナ政策継続中の中国において、今隔離を受けている人間がどれくらいいるでしょう。

少なくはない人数がいるのかもしれませんが、ほとんどが上海や大連だと思います。

メインは3~4週間なのではないでしょうか。

5週間隔離を終えた、率直な感想を記します。

5週間隔離の感想

基本的に日本にいる時はいつも引きこもっている人間なので、そんなに苦にはしませんでした。

特に

  • 2週間の瀋陽ホテル隔離
  • 1週間の哈爾浜ホテル隔離

の間は食事にも困らないし、快適でした。

最後の一週間はさすがに少しこたえました。

時間はありますが、もう隔離はいいかなという感じです。

 

隔離で得られたもの

個人的には収穫がたくさんありました。

  • いい絵が2枚描けた。
  • ブログを再開する機会になった。
  • ブログのカスタマイズができた。
  • サブブログを作った。
  • 自伝の面白さに気づき、自分で書き始めた。
  • 英語学習の布石を築けた。
  • 日本語音声学学習の布石を築けた。
  • 剣玉を再開した。
  • 久しぶりに料理をした。
  • ずっと読みたかった本が読めた。

などなどいろいろな発見をしたり、趣味を思い出したりすることができました。

予定していた勉強も完全にではありませんでしたが、ほぼ達成できました。

 

隔離ホテルからの夜景(瀋陽)

 

中華鍋とガスコンロの魅力

これは余談ですが、初めてガスコンロで継続的に調理を経験してみて、やはり全然違うなと思いました。

大学からずっと一人暮らしでいろいろなアパートや寮に住みましたけど、ガスは初めてだったので。

電気より全然、よく料理ができますね。

火力が違います。

日本で一人暮らしをする機会がまたあれば、真っ先に中華鍋を買おうと思いました。

 

辛かったのは4~5週目の寮隔離。

まだ慣れてなかったですし、食材も十分ではない中で自炊するのはちょっとこたえました。

でも、これも無職飯時代に経験していることですから。

4週目に、野菜が食べれなかったこと以外は問題ありませんでした。

無職飯は本当に万能だといことを思い知りました。

定番の卵とトマト。

 

白菜はやはりキャベツより万能です。

 

無職が作る料理

 

中国入国隔離に持っていくもの

こちらの動画で紹介していますが、5週間という長い間で、気になったものもあったので追加してまとめておきます。

 

文庫本

日本と違って、ネットもテレビも満足にできない可能性もあります。

やはりネットワークに頼らない娯楽があった方がいいです。

そういう意味ではDVDの価値なども、見直す機会にはなりました。

文庫本なら荷物になりませんし、3冊ぐらいあれば理想です。

 

ペンチ

地味ですが、一カ月ぐらい隔離されれば一度は役に立ちます。

必要な物を入手する手段がないので、その中であるものを使っていかないといけません。

ドライバーとか工具類は以外と万能かもしれません。

問題はどこまで持っていける余裕があるかです。

しかし、果物ナイフなどでも言えることですが、空港や列車のセキュリティーで引っかかり、没収されるおそれはあります。

私のペンチは大丈夫でしたが、そのあたりは難しい判断です。

 

洗剤

洗濯用の洗剤や食器用洗剤があれば、文句はありません。

長いホテル隔離、やはりコップなどを洗う必要があります。

そういう意味ではスポンジなども必要ですが、荷物の容量の問題がありますので、必要

なものだけ持っていきましょう。

 

スピーカー

イヤホンだけだと疲れてくるので、やはり小さなスピーカーは1つあれば便利だと思います。

 

 

体を動かせる趣味の道具

運動も部屋の中で完結する必要があります。

ネットワークを使う必要がないので、いざという時暇つぶしにもなります。

私の場合は剣玉でしたが、例えばヨガマットとか手のひらでクルクルする玉とか、なんでもいいと思います。

 

電池

これも単3,単4辺りは必ず一度は欲しいと思います。

なぜかリモコンに電池が入っていない場合などがあります。

ですが、必須ではないです。

もし、持っていく電化製品に電池を使用しているものが無ければ、持っていくことを検討してもいいかもしれません。

 

お菓子

必要ないという人が多いと思いますが、意外とあれば助かると思います。

空港入りしてからは、途中で買うことができません。

私はコンビニで飴を4袋買っいき、最終日でもまだ残っていました。

これだけでも気分転換になったので、チョコレートとかもあればいいかもしれません。

ホテルではお菓子の支給は確実にないので、意外と食べたくなります。

 

中国隔離まとめ

完全にそろえたつもりでも、なにかが足りなくて困るのが旅です。

そして、それは海外である以上ずっと続いていきます。

本一つなかなか買えません。

ですが、それを一つ一つ知恵を絞って解決していくのが、また醍醐味でもあります。

あまり心配し過ぎることはないかと思います。

 

隔離は長いようで短いですが、確実に一定の時間が自分に与えられるのは事実です。

これを生かすも殺すも自分次第。

隔離でなにか得られる物があって、無事に隔離を終えられれば一番だと思います。

 

 

コロナ禍での中国渡航から瀋陽隔離。1日目。2021年9月。

中国隔離で持っていく物。瀋陽隔離2日目。2021年9月。

中国隔離中に考えたこと。瀋陽隔離3日目。2021年9月。

中国隔離の実態レポート。瀋陽隔離4日目。2021年9月。

中国外教(日本語教師)への道。瀋陽隔離5日目。2021年9月。

中国日本語教師で赴任したら。瀋陽隔離6日目。2021年9月。

独学で中国語学習。おススメ教材。隔離7日目。2021年9月。

コロナ禍の中国隔離食事。果物ナイフが必要です。8日目。2021年10月。

中国ドキュメンタリー番組選。感動動画。中国瀋陽隔離10日目。2021年10月。

招聘状が出ない、日本語教師中国大学求人は消滅。瀋陽隔離13日目。2021年10月。

瀋陽からハルビン隔離ホテルへ新幹線で移動。中国隔離14日目。2021年10月。

中国入国隔離と出会い。結婚相談所。ハルビン隔離26日目。

中国入国隔離5週間を終えての感想。瀋陽+ハルビン隔離35日目。

中国コロナ対応。入国隔離から濃厚接触者マンション封鎖隔離へ。

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